パラスポーツ最高峰を目指す姿を追いかける最前線レポート--Next Stage--企画・取材:MA SPORTS

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2018年12月21日

車いすフェンシング 藤田道宣選手

「自分に変化を加え、もうひとつ上の段階に行きたい」


東京パラリンピック出場と表彰台を目指す藤田。W杯京都大会は「いろんな方の応援が力になった」。

車いすフェンシングのワールドカップ(W杯)京都大会で、藤田道宣(トレンドマイクロ)が存在感を示した。今大会、A・Bふたつの障がいカテゴリーに分かれて実施された。胸から下の感覚がなく、剣を持つ右手の握力がゼロの藤田は、本来はより障がいの重いカテゴリーCの選手だ。「どうしてもパワーやスピードで劣る。でもそこを考えていたら成長が止まってしまう」と、藤田は今大会もいつものようにカテゴリーBでエントリー。目標の表彰台には届かなかったが、団体戦では障がいの軽いカテゴリーAの選手に勝利するなど、活躍した。

フェンシングの名門校・平安高(現龍谷大平安高)で剣を握った。1学年上にはインターハイ3連覇を果たした太田雄貴さんがおり、藤田はその背中を夢中で追った。進学した龍谷大1年の時にはインカレのエペで7位、全日本選抜ではベスト16の成績をおさめたが、19歳の時、海での事故で頸椎を損傷。長期間のリハビリを経て、2009年から車いすフェンサーとして再起した。

だが、険しい道のりが待っていた。「経験者という強みがある。でも、身体が動かない。そのギャップが大きかった」。藤田は自分のフェンシングを必死に探し求めた。当初はわずかに握力が残る左手で剣を持っていたが、利き手の右手に戻し、テーピングで剣を固定する工夫をした。障がいが重い分、体幹を支えるコルセットや競技用車いすもミリ単位のセッティングにこだわった。

メイン種目はパワー系のエペから、繊細な技術が活かせるフルーレに変えた。現在、そのフルーレでは、日本人最上位の世界ランク8位につける。足を引いて浅めに座り、「前での勝負」を信条とする。「障害は負ける理由にならない。勝つことだけを考えて、フィジカルもメンタルももっと鍛えたい」と、藤田は語る。

五輪メダリストの太田さんからは、「結果を残せば認知度が上がる」といつも言われているとそうだ。「だから自分は、車いすフェンシングがパラスポーツの中でも人気競技になるように引っ張っていければ」

熱い思いを抱く藤田の挑戦は、これからも続く。

(MA SPORTS)