パラスポーツ最高峰を目指す姿を追いかける最前線レポート--Next Stage--企画・取材:MA SPORTS

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2023年2月28日

日本障害者スキー連盟普及委員 井上真司さん

アルペンスキーの大会運営を支える元パラリンピアン


2月のジャパンパラ競技大会で大会運営をサポートした井上さん

元アルペンスキー日本代表で、ソルトレークシティ、トリノ、バンクーバーと3大会連続でパラリンピックに出場した井上真司さん。現在は日本障害者スキー連盟の普及委員を務めると同時に、地元の菅平高原スキークラブのクラブ員として大会運営や選手をサポートしている。

2月に菅平高原パインビークスキー場で開かれた「FIS Para Alpine Skiing公認 2023ジャパンパラアルペンスキー競技大会」では、タイミングチームの一員として、レースのタイム計測を担当した。タイム計測は、選手が足元のスタートバーから飛び出した瞬間に始まり、選手がフィニッシュラインを通過して光電管を横切ったタイミングで止まる。スキー板から雪が跳ね上がって光電管の信号を遮ってしまうようなハプニングもまれに起こるため、管理施設のゴールハウスからゴール地点を目視で確認をすることも大事な作業だ。井上さんは、「機械は正確に動いてくれる。この仕事で大事なのは、人為的ミスを出さないこと」と話し、100分の1秒を争うレースに鋭い視線を送る。

これからも選手としての経験を活かして大会を支えていく

長野県須坂市の出身。出生時の分娩麻痺により右手に障がいがあるが、幼いころから友人たちとミニスキーを楽しんだ。20代前半はスキー場でパトロールの仕事に関わっていたため、障がい者のスキーがあることは知っていたが、「自分よりもっと重い障がいの人がやる競技だと思っていた」と井上さん。その後、1998年の長野パラリンピックを観戦したことがきっかけで選手を目指し、2000年の世界選手権(スイス)でデビューを果たした。

パラリンピック初出場のソルトレークシティ大会は、男子立位の4種目に出場。トリノ大会は直前のレースで腰椎を圧迫骨折し、選手村で過ごすという悔しさを味わった。そして、43歳で迎えたバンクーバー大会は回転で29位、大回転で20位、スーパー大回転で15位と、入賞はならなかったものの終始快走を見せ、その後、10年間の競技生活にピリオドを打った。

現在も趣味でスキーを楽しむという井上さん。その素顔は、菅平高原にある「顕正寺」の住職だ。午前中はゲレンデで仕事、午後から寺の法要といったように掛け持ちもあり、多忙な日々を送るが、スタンスは変わらない。

「今はスキーの競技人口が減少していますが、私は現役中にスキークラブをはじめ、周囲の人たちに応援してもらい、支えてもらったので、その灯が消えないようにすることが務めだと思っています。たとえ選手が一人になっても、競技を続けられる体制を整えていきたいですね」と、井上さん。

地元とスキーへの恩返しを胸に、これからも普及活動に取り組んでいく。

(MA SPORTS)