パラスポーツ最高峰を目指す姿を追いかける最前線レポート--Next Stage--企画・取材:MA SPORTS

<<一覧に戻る

2015年5月31日

藤本怜央選手(車椅子バスケットボール)

「自国開催の東京パラリンピックは第一線で活躍したい。
そのためにも2016年のリオパラリンピックの出場権を獲りにいく」

車椅子バスケットボール男子日本代表のキャプテンであり、躍進のカギを握るエースでもある藤本怜央選手。
10月に千葉市で開催されるアジア・オセアニア チャンピオンシップ、そして来年のリオパラリンピックに向けて、現在の心境を聞いた。

花形競技・車椅子バスケットボールのトップ選手ですが、日々どんなトレーニングをしているのでしょうか?

バスケに専念できる環境を求めて2014年に転職し、現在は競技に比重を置いた生活をしています。週3回は体育館でのチーム練習、週2回はウェイトトレーニングや個人練習に取り組み、週末は大会などに出場。さらに日本代表チームの合宿や遠征などにも参加しています。



ドイツ1部リーグ「ハンブルガーSV」でプレーする藤本

2014年9月から半年間は、ドイツのクラブチームに所属しました。海外に挑戦した理由を教えてください。

中核選手として出場した2012年のロンドンパラリンピックは9位に終わりました。自分の出来次第で勝敗が決まるような立場になり、「このままリオに行ったら同じことを繰り返すのでは」と危機感を持ったことがきっかけです。日本にいても自分の心がけ次第でレベルアップできます。ですが、最終的に「日本では通用するけれど、世界では戦えないところを探して克服しよう」と、ドイツへの挑戦を決意しました。



海外での生活はどのようなものでしたか?

ドイツでは週末に試合があり、平日はそこに向けて日本の2倍の練習量をこなしました。練習でも、いいパフォーマンスをしてみんなに認められなければならない厳しさがあり、最初は苦しかったです。24時間、逃げ道のないバスケ漬けの生活。試合に向けていかにコンディションづくりをするか試行錯誤する中で、食事や休養にも気を使いました。その結果、メンタルを鍛えることができ、さらに20キロの減量にも成功しました。



帰国後、自身にどのような変化を感じていますか

自分ではまだわかりませんが、宮城MAXの一員として5月の日本選手権を戦い、周囲にはスタミナやメンタルの面で成長したと言われます。自分が主導していいプレーを生みだすことをテーマに臨み、僕がアシストなどの役割をするときは苦しい場面でも声を出すように心がけました。僕が不在の間に進化を続けていたチームメートのおかげもあって、宮城MAXは7連覇を達成。来年は今年の宮城MAXを超えられるようにまた練習に励みます。



海外に挑戦する中で、新たに発見したことはありますか?

ドイツでは、言葉が伝わらない中で、なんとかコミュニケーションを取ろうと、「グッドディフェンス」、「ナイスショット」など、人をほめる簡単な言葉を使うことがあったんですが、それが実は、チームに好循環をもたらすことを学びました。できないことをその場で言って修正をかけるだけではなく、仲間のいいところを見つけて、チームをプラスの方向にもっていくように気を配る。ほめるためにどうつなげるかを考えたことで、自分のプレーも変わりました。これをアレンジしながら、日本代表チームでも実践していきたいです。



ロンドンパラリンピックの後に日本代表のキャプテンに就任しました。どんなキャプテン像を目指していますか?

今の日本代表には強いリーダーシップを持っている選手が何人もいるので、僕のキャプテンシーは、リーダーシップと同時に、フォローアップするところにあると考えています。チームが折れかけたときは、うまく立て直す役目を担いたいです。一方で、コート上では、まわりを活かすだけでなく、時には自分のエゴを出さなくてはならない。それが僕の課題です。一番苦しい場面で自分の意見をうまく伝えて、チームの状態を上げていくのがエースだからです。エース、キャプテンの両方の役割ができたときに本当の強さが生まれると信じています。




10月のアジアオセアニアチャンピオンシップに向けて、意気込みを聞かせてください。

来年のリオパラリンピックの出場権を掴むための大事な戦いになります。近年、アジアの中で日本は4番手で、リオの出場枠は「3」。本戦に出場できるかというと、決して楽観視はできません。ですが、昨年10月のアジアパラ競技大会でライバルのイランに勝つことができたのは好材料になっています。自分もドイツに挑戦しフィジカルの強い相手と競い合ってきましたが、日本選手権で戦った千葉ホークスや埼玉ライオンズの代表候補選手の仕上がりを見て、リオの出場権を獲得できる可能性は高まっていると感じました。アジアオセアニアチャンピオンシップは、イラン戦と韓国戦に照準を定めて戦うことになると思います。ぜひ多くの皆さんに会場に足を運んでいただき、勝利の瞬間を一緒に喜べたらと願っています。



現在31歳です。2020年の東京パラリンピックは目指しますか?

大ベテランと呼ばれることになってもコートに立っていたいです。その頃には、若い選手に背中で語れるような選手になっていたいと思っています。東京は自国開催なので当然、結果が求められると思います。2020年の東京パラリンピックで結果を出すには、やはり試金石になる2016年のリオパラリンピックをどう戦うかが重要です。リオでいい結果を残して、東京ではメダルを狙えるチームをつくりたい。僕は頭の中でそんなプランを練っています。

(MA SPORTS)

プロフィール

藤本怜央(ふじもと れお)
1983年、静岡県生まれ。SUS所属。小3のとき、交通事故で右足膝下を切断。バスケットボールのクラブチームに所属していた父親にすすめられ、義足でバスケットボールを始める。高3で車椅子バスケットボールに出会い、大学進学を機に宮城MAXへ。現在、日本選手権7連覇中。10大会連続得点王。日本代表としては、アテネ・北京・ロンドン大会のパラリンピック日本代表。2010年の世界選手権「得点王」。持ち点4.5。好きな言葉は「やればできる」。