パラスポーツ最高峰を目指す姿を追いかける最前線レポート--Next Stage--企画・取材:MA SPORTS

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2015年7月8日

丸山弘道さん(車いすテニス/コーチ)

「“自立”と“自律”を実践し、スポーツ選手として
自分をクリエイティブする力を持った人材を育てたい」

日本における車いすテニス指導者の第一人者であり、パラリンピック2連覇中の国枝慎吾選手が17歳の頃から師事する丸山弘道コーチ。国枝選手とのエピソードや指導にかける思いを聞いた。

国枝選手を指導されて14年が経ちます。ふたりの出会いについて教えてください。

1996年から公益財団法人吉田記念テニス研修センターで一般のジュニアの指導を始め、その後、齋田悟司選手(パラリンピック4大会出場)ら車いすテニスのトップ選手を指導していましたが、彼とは接点がありませんでした。ある日、センターの通路を歩いていたら偶然、コートを飛び跳ねるように動いていた車いすの少年の姿が目に入って。それが、慎吾でした。テニスは下手でしたけど、躍動感に溢れていて、「この子はトップレベルに行く」という直感がありました。すぐに本人とお母さんに話をして、翌週から私がレッスンすることになったわけです。2001年のことです。



実際にレッスンした第一印象はどうでしたか?

私の目を見られなくてずっと下を向いているくらいシャイでした。でも、レッスンでは絶対に最後まであきらめないガッツと集中力がありました。「この子のシャイな部分を抜いたら、どんな選手になるだろう」という興味が湧き上がったことを覚えています。



指導してきた中で、国枝選手にターニングポイントはありましたか?

海外に出始めたのが2002年。世界トップレベルの選手と対戦してみたら、結構いい試合をするんですよ。でも、どうしても勝てなかった。その頃の彼はサーブがウィークポイントで、私が何度言っても、ストロークでカバーすればいいという考えでした。でも、黒星を重ねるうちに自分に厳しくならないといけないと気付き、「1位になりたい」という明確な目標が芽生えるようになってからは、思考回路も練習の取り組み方もものすごく柔軟になったように思います。



5月のジャパンオープンで練習中に国枝選手と言葉を交わす丸山コーチ

その変化が現在の活躍につながっていくのですね。

そうですね。とくに、2004年アテネから2008年北京までの4年間は印象深いです。スピードとパワーの時代に対応するためにグリップの握り方を180度変えました。スイングや戦術を変えるのは選手生命にかかわる問題ですし、受け入れるのは大変だったと思います。実際にホームランばかりで、私が先に一度「やめよう」と言ったほど。それでも、彼は「入った時のプレーを想像するとわくわくするんだ」とやめようとはしなかった。結局、私は「あと3日だけ待つ」つもりで、素振り1000回を日課にしたんですが、彼は練習後も遠征先の部屋でもラケットを握り続けた。彼は、努力の天才です。プレーで追い込まれると「何万回打ってきたんだ!」と鼓舞しますけど、あんな究極の場面では本当にやってきた人しか言えないでしょう。



国枝選手が世界のトップであり続ける理由を、どう分析されていますか?

「こう打ちたい」というイメージの通りに身体が動かせるコーディネーション能力が非常に高い。だから予測しないボールが来ても対応できる。彼より上手い技術を持った選手はいますが、これは他の誰にもない強みです。また、海外ツアーを選手一人で転戦することも多いんですが、プレーも身の回りのことなども全部自分でやるという「当たり前のことを当たり前すること」って実は難しいんです。慎吾はその力に長けていると思いますよ。



車いすテニスの指導で気をつけていることは?

車いすの選手のヒッティングパートナーやコーチングをやり始めた頃は、すべてが手探りでした。彼らとやっていく中で、身体の中身を知る大切さを痛感しました。たとえば、クァードは汗をかきにくい選手もいることを教わり、学んだ。一歩間違えれば悪化させてしまう恐れもある。「視診・触診・問診」は、今でも一番自分の中で意識している部分です。




指導者として影響を受けた人物はいますか?

競技は違いますが、サッカー指導者のモウリーニョです。周りから何を言われようが、自分がやるべきこと、信じることに徹するところを真似したいですね。車いすテニスで僕の本気のスイッチを押してくれたのが、1990年代から2000年代序盤に圧倒的な強さを誇ったデビッド・ホール(オーストラリア)のコーチです。実はその人の名前は知らないんですが……。アテネで齋田・国枝組がダブルスで金メダルを取った時、欧米のコーチ陣が「なんでアジア人が……」とざわつく中、「おめでとう。お前の頑張りがこれからの車いすテニス界を変えるんだぞ」と声をかけてくれた。自信を持たせてくれた一言でしたね。



指導者としてのこだわりを教えてください。

私の考えは「ベーシック=テクニック」。選手が誰であれ、基礎練習を徹底して行います。また、これまでの経験から、“いい方を伸ばすことが最大の防御になる”と考えています。また、僕は常に、ふたつの「ジリツ」が大事だと言っています。「自立」と「自律」を自分自身にも言い聞かせているし、選手にも実行してほしい。スポーツにおいて、「上手い」と「強い」は違います。どんな競技でも、自分でプロセスを作って実践して結果を出す選手が一流だと思うし、それがランキングやメダルにつながっていくのだと思っています。



今年4月から大阪体育大学大学院で競技スポーツ心理学を学んでおられるそうですね。今後の目標を聞かせてください。

今の話とつながるのですが、大学院ではそうした「自分をクリエイティブする力」を身につけたスポーツ選手を育成する仕組みづくりを追究しています。これからスポーツはますます競技力が向上するでしょうし、2020年を見据え、高校や大学、企業に声をかけながら、人材育成するためのシンクタンクを作りたいと考えています。車いすテニスのコーチとしては、この仕事でも生活できるというロールモデルになれるよう、邁進していきたいです。

(MA SPORTS)

プロフィール

丸山弘道(まるやま ひろみち)
1969年、千葉県生まれ。株式会社オフィス丸山弘道代表取締役。公益財団法人日本テニス協会公認S級エリートコーチ及び車いすテニス委員会委員。公益財団法人日本障がい者スポーツ協会公認スポーツコーチ。一般社団法人車いすテニス協会ヘッドコーチ。
10歳からテニスを始め、大学までプレーヤーとして活躍。卒業後は4年間、一般企業に就職し、その後テニス界に復帰。公益財団法人吉田記念テニス研修センターのエリートコーチとして、ジュニア選手を全国トップレベルまで引き上げ、同時に車いすテニス選手担当コーチとして国枝、齋田、藤本佳伸ら多くのパラリピアンを輩出。2012年に退職後、名古屋グリーンテニスクラブディレクターを経て、現在は国枝、三木拓也の専属コーチを務める。好きな言葉は「一笑懸命」「我以外皆師」「完全燃笑」。