パラスポーツ最高峰を目指す姿を追いかける最前線レポート--Next Stage--企画・取材:MA SPORTS

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2015年8月19日

黒田智成選手(ブラインドサッカー)

「逃す度に強くなるパラリンピック出場への思い。
初出場の切符は、自力で勝ち取ります」

幼い頃、『キャプテン翼』を見てサッカーに憧れたという黒田智成選手。
日本視覚障害者サッカー協会(当時)が発足した2002年にブラインドサッカーを始め、その年に日本代表となって以来、長きに渡って日の丸を背負い続けている。
昨年11月の世界選手権では日本の6位躍進に貢献。競技への思い、そしてエースが描く未来とは────。

9月2日からリオ予選を兼ねたアジア選手権に臨みます。まだ出場したことのないパラリンピックに、どんな思いがありますか?

何が何でも出たいです。そのためには、パラリンピックの常連であるヨーロッパや南米のチームと対等に戦えるようにならなければいけないという思いで、トレーニングを重ねてきました。競技を始めた頃の目標だった世界選手権には3度出場したので、次第に目指す場所がパラリンピックへとシフトしていったんですが、2004年のアテネ大会を目指してからずっと出場できていません。出場権を逃す度に、その思いはどんどん大きくなっています。



「パラリンピック」を目標に据えるようになったのは、アテネ大会でブラインドサッカーが正式競技として採用されたからですか?

いえ、実はもともと陸上競技でパラリンピックを目指していました。高校・大学時代に跳躍種目に取り組み、全国障害者スポーツ大会で三段跳びの日本記録(当時)を更新したことがきっかけで、パラリンピック出場を意識するようになったんです。ジャパンパラ競技大会や日本選手権にも出場していたのでトップ選手と交流する機会がありましたし、故郷に車いすマラソンのパラリンピアンがいたこともあって、その舞台への憧れはずっとありましたね。



陸上競技の他にも、柔道やグランドソフトボールの経験がありますが、そんな中でブラインドサッカーに夢中になったのはなぜですか?

まず、テレビアニメ『キャプテン翼』の影響で、小さいときからサッカーに対する憧れがあり、もともとサッカーをやりたいという思いがあったんです。それで、23歳の時、日本に上陸したばかりのブラインドサッカーをやってみて、アイマスクを着けて自由に走り回れる面白さを知りました。この競技は、動きが複雑で難しい。けれどその分、プレーヤーの自分たちでもびっくりするプレーができる瞬間、たとえば自分のイメージと仲間のイメージがぴったりと噛み合って走り込んだときにパスが出てくるとか、ダイレクトでシュートが打てるとか、そういった奇跡みたいな瞬間を起こせたりする。それが面白いですね。



2002年からずっと日本代表の中心選手として活躍されています。

はい。ですが、4年前に右ひざの十字靭帯を損傷するケガを負い、翌年の2012年に手術をしてから10カ月間、サッカーをすることができませんでした。手術後、夢の中でボールが飛んできて、とっさに足を伸ばしてしまい激痛のあまり目を覚ましたことも……。それほどボールを蹴りたかったんですね。それに、これまで日本代表の合宿に参加できないことなんてなかったので、「みんながいるピッチで自分は練習ができない」というのが悔しくて。だから、まだサッカーができるなら、日本代表を目指して世界で戦いたいという気持ちがより強くなりました。



そのケガを負ったのは、ロンドンパラリンピック出場をかけた2011年アジア選手権の2カ月前でした。

前年の2010年世界選手権で自分の得点スタイルを習得し、直前の国内リーグでゴールを連発するなど調子も良かったので、「今度こそ行ける」という思いで準備をしていた矢先のケガでした。しかも、その4年前の北京大会の出場権がかかった2007年アジア選手権では、大一番の韓国戦で僕が与えたファウルで第二PK(※)を決められ、パラリンピックへの切符を逃してしまっていたので……。本当に悔しく、心にも大きなダメージが残りました。



ロンドンへの出場権を逃してからチームはなかなか再始動できずにいました。黒田選手自身はどのような心境で過ごされていたのですか? またそれをきっかけに何か変化はありましたか?

そこからしばらくの間、ボールを蹴る気がしなくて、サッカーのことを考えることさえ嫌でした。でもケガの手術、リハビリを経て、それまで「勝ちたい」という一心でサッカーをやっていたけれど、「やっぱりサッカーって楽しいんだな」と思うようになった。気持ちの面でも純粋なところに立ち返れたのが、大きかったですね。それに、自分のプレーの幅も広がりました。ケガをする前はスピードとパワーで勝たなきゃいけないと思っていたけれど、単にスピードだけじゃなくて、速く見せるために、ゆっくりした動きから加速させて相手とかけひきをするなど、余裕を持ったプレーができるようになってきました。



2014年の世界選手権で日本を勢いづけた初戦のゴールシーン

2014年に東京で開催された世界選手権では、初戦のパラグアイ戦でゴール決めるなど日本の躍進に貢献しました。

日本は堅守速攻を掲げていますが、中でもカウンターが自分のストロングポイント。自分は中盤なのでシュートまで行く回数がそんなに多くはないので、少ないチャンスを確実に決めることにこだわりを持っています。自分がルーズボール、セカンドボールを拾えた時がチームのチャンス。9月のアジア選手権も、ぜひそこに注目してもらいたいですね。とはいえ、得点力がチームの課題。現在日本チームは得点力アップのために、相手ディフェンダーだけでなく、ゴールキーパーも動かして、ゴールキーパーの動きと逆のシュートを打つことにも取り組んでいます。また、世界選手権の時よりも、ボールのないところでの連係など、お互いの良さを出し合うようなプレーがさらにレベルアップしました。守備面での課題も明確になっているので、強化を進め、さらに自信を深めて大会を迎えたいです。



来たるリオ予選は、初出場を自力で決めるラストチャンスです。意気込みを聞かせてください。

ここで実力で切符を勝ち取って出場することができれば、2020年東京大会はただ開催国枠で出場するだけではなく、メダルを取る目標もできる。そういう意味でも、リオ予選は次のステップに上がる重要な大会でもあります。昨年、国立代々木競技場フットサルコートで行われた世界選手権でゴールを決めた直後の、会場全体が盛り上がる雰囲気は最高でした。今度のリオ予選も同じ会場で行われます。今までブラインドサッカーに関わって来た人たちの夢を実現して、会場に集まって来てくださる人たちみんなとその喜びを分かち合えたら嬉しいです。



※前後半それぞれチームファウルが累積4を超えると、相手に第二PKが与えられる。

(MA SPORTS)

プロフィール

黒田智成(くろだ ともなり)
1978年、熊本県生まれ。東京都立八王子盲学校教員。病気のため6歳で失明。大学院生だった23歳の時、インターネットで見つけたブラインドサッカーの講習会に参加。ブラインドサッカーの奥深さに魅了され、本格的に競技を始める。ポジションはMF。スピードにのったドリブルを武器に日本代表の中心選手となり、2006年・2010年・2014年の世界選手権に出場。国内では、たまハッサーズに所属。2006年〜2008年の日本選手権で3回連続MVPを獲得。164cm、55kg。好きな言葉は「可能性は無限大」。