日本パラリンピック委員会(JPC)大槻洋也強化委員長
「4年後の東京パラリンピックを盛り上げるために。
リオでは好成績を」
日本代表選手団が金メダル5個を含む計16個のメダルを獲得したロンドンパラリンピックから4年、2020年東京大会の開催決定、スポーツ庁の設立などを受け、障がい者のトップスポーツを取り巻く環境は大きく変化した。インチョン2014アジアパラ競技大会、そして、まもなく開幕するリオ2016パラリンピック競技大会の日本代表選手団団長でもある大槻洋也JPC強化委員長に強化方針を聞いた。
もともと障がい者スポーツに関わるようになったきっかけを教えてください。 |
体育の教員を目指していた20代の頃、出身地の長野県で縁あって肢体不自由児の医療福祉センターで働き始めました。居心地の良い職場で、そのまま教員にはならずに働き続けていたわけですが、そこで出会った車いす利用者に、後のパラリンピアンがいました。ちょうど日本に車いすテニスが伝わってきた頃。当時、自分もテニスに夢中だったので、車いすの彼らと一緒に車いすテニスの普及活動にのめりこんでいきました。今から約40年前のことです。
車いすテニスの監督としてパラリンピックを経験されていますが、今までのパラリンピックで印象に残っている出来事を教えていただけますか? |
日本は2004年アテネパラリンピックで男子ダブルスの齋田悟司・国枝慎吾組が金メダルを獲得。これまでアウェーの洗礼を受けてきましたが、これをきっかけに少しずつヨーロッパ勢が日本を認めてくれるようになりました。また、1996年アトランタ大会頃から自腹が多かった遠征も費用が出るようになり、選手たちの環境は大きく変わりました。
車いすテニスはどのような強化が結果に結びついたのですか? |
2000年のシドニー大会の頃でしょうか。世界の競技性が上がり、「このままじゃいけない」と危機感を持った第一人者の齋田悟司選手が障がい者スポーツセンターの教室ではなく、プロのコーチの指導を仰ぐようになりました。車いすテニスの場合、選手にプロ意識が芽生えたことが大きかったですね。
周りの国を見渡すと、どうでしょうか? |
アメリカの大会に行くと、日本と同様に、ジュニアのための講習会があったり、健常者の小学生が授業の一環として見学に来たりしています。日本の強化はというと、アメリカをお手本にしていて、ピラミッド型で底辺を広げていって頂点をつくるやり方です。一方のヨーロッパは、ひと握りの選手を強化する方法なんですね。
2012年のロンドン大会後に強化委員長に就任。ロンドンでは、世界のパラスポーツの変化、競技力の高さを感じる場面もあったと思いますが、この4年間の強化で、もっとも注力してきたことは何ですか? |
競技を強くするのは、競技団体ですから、そのテコ入れから始めました。強化策や考え方をヒアリングし、翌年それが是正されているか検証し、できていなければその理由を問い詰めてきます。東京パラリンピックに向けて使えるお金が増えていきますから、ボランティアで運営するのではなく、マネジメント会社なども入れて、スポンサーを増やし、2020年までに基盤を整えていくべきです。
競技団体の成熟なくして、パラリンピックの獲得メダル数はそう簡単に増えません。もちろんスポーツなので結果が出ないこともありますが、成熟している団体は、結果的に強くなるし、強化費も多い。例えばスタッフなら有給コーチ制度ができましたが、金銭的な余裕ができれば、スタッフの意識も変わる。オリンピックチームと真の意味で同じスポーツの土壌に立てるよう、選手、スタッフ、コーチの意識改革が不可欠です。
今回、リオの日本代表候補を推薦してもらう際、複数の競技団体で意見交換をしてもらいました。未熟な団体は、しっかりした団体から別の選考方法を学ぶことができますし、収穫も大きかったと思います。競技団体とは、時に言い合いになりますが、口すっぱく言い続けることが、私の役割だと考えています。
日本が世界から学び、ロンドン以降始めた強化策はありますか? |
アジアパラ競技大会で団長を務めましたが、会場を回る中で、最も競技力が伸びていると感じたのはイランでした。尋ねてみると、元兵士の選手がすごく多くて。これは日本には当てはまりませんが、ある程度体ができている中途障がい者をスカウトするのはいいかもしれないと考え、JPCでも選手発掘事業を行いました。成果が出るのは東京パラリンピック以降かもしれませんが、2020年を見据えて競技を始めた選手がたくさんいるのはうれしいことですね。
ジュニアの育成という意味では? |
障がい者スポーツの特性上、事故や小児ガンで足を切断するなど中途障がいの子どももいるので、どこをジュニアと考えるか、一概には答えられません。競技のジュニアは、年齢のジュニアと決してイコールではないのです。
ただ、伝えたいのは、保護者の皆さんには、オリンピックのようにパラリンピックに夢を持っていただきたいということ。スポーツなので、練習場所や用具などにお金も労力もかかりますが、最近では、車いすテニスの国枝慎吾選手や上地結衣選手というような目標となる選手が出てきているので、保護者の方の理解が少しずつ深まっていることを期待しています。
リオでは日本代表選手団の団長を務める
強化委員長として、今回のリオパラリンピックをどう捉えていますか? |
4年後の東京大会で会場を満杯にするには、ここで好成績を出さなければいけないですし、リオはすごく重要な大会です。選手には競技で感動してもらえるようなパフォーマンスを見せて欲しいと思います。また、メディアに取り上げられる機会も増えるので、選手はインタビューにも、オリンピック選手以上に、胸をはって受け答えしてもらいたいです。メダルももちろん大切ですが、日本代表という意識を高く持ち、若い選手や周囲の人に尊敬されるような振る舞いをして欲しいと思っています。
(MA SPORTS)
プロフィール
大槻洋也(おおつき ひろや)
1955年、長野県生まれ。日本パラリンピック委員会(JPC)強化委員長、運営委員。
中・高はバレーボールに熱中し、中京大学時代はスキーなどに親しんだ。卒業後、稲荷山医療福祉センター(長野)に勤務後、1989年より名古屋市総合リハビリテーションセンター、名古屋市障害者スポーツセンターに体育指導員として勤務。2008年から至学館大学 健康科学部健康スポーツ科学科教授。
1996年アトランタから2012年まで車いすテニス日本チームの監督を務めた。アジアユースパラ競技大会マレーシア2013、インチョン2014アジアパラ競技大会日本代表選手団団長。