能瀬さやか先生(産婦人科医)
「無月経や疲労骨折など、女性アスリート特有の健康問題は10代で対策を」
JISS(国立スポーツ科学センター)の女性アスリートの健康調査によると、約4割が月経周期異常などの婦人科領域の問題を抱えていることがわかった。長年、女性選手の実態を調査してきた、産婦人科医であり日本障がい者スポーツ協会公認障がい者スポーツ医の能瀬さやか先生に、現状の問題点や対策について聞いた。
写真提供:東京大学医学部附属病院パブリック・リレーションセンター
先生は女性選手の健康問題を調査されていますが、それはどのような内容で、また彼女たちはどんな課題を抱えているのですか? |
まず、2011年4月から1年間のメディカルチェックのカルテを調べ、683名のオリンピック選手と強化指定選手の無月経や月経痛など婦人科の問題を抱えている選手の人数を調査しました。それによると、約4割が月経不順や無月経といった月経周期異常の問題を抱えていることがわかりました。アスリートの無月経の原因として最も多いものは、運動量に見合った食事量が確保されていない「利用可能エネルギー不足」です。この「利用可能エネルギー不足」「骨粗しょう症」「無月経」は、「女性アスリートの三主徴」と呼ばれています。
その背景にはどういった理由があるのでしょう? |
アスリートかどうかに関わらず、婦人科は10代にとっては敷居が高く、受診しにくいもの。とくに10代に関しては保護者や指導者が気付く環境がなかったことがまず問題と言えます。20代に関しては、無月経自体、そもそも異常と思っていない選手が多く、それが骨折や不妊につながる恐れがあることを知らない。月経がとまっているほうが楽で、コーチも「月経が止まって一人前」と捉える人がいまだにいます。2012年の時点で、トップ選手683名中、婦人科の受診率はわずか4%で、試合に合わせて月経時期を調整できることを知らない選手が66%もいるという結果に驚きました。
薬を飲むことに抵抗がある選手も多いのではないでしょうか。 |
調査を始めた5年前でも、「ピル=避妊だけに使う薬=太る薬=将来妊娠できなくなる薬」という都市伝説的なことを信じる選手や指導者が多数いました。でも、いまは体重に影響しないものもたくさんありますし、月経痛の薬としてきちんと認められています。それで、3年ほど前から、メディカルチェックの時に希望する選手一人ひとりに月経対策に対する情報提供に力を入れたところ、「使ってみたい」という選手も、受診率も、一気に増えていきました。
高いパフォーマンスを発揮するには、女性の特性に配慮した選手の育成環境の整備が必要になりますね。 |
その通りです。いま、私が一番力を入れたいのは、部活動に励む中学生や高校生に対するスクリーニングの体制作りです。指導者やトレーナーが男性であることが多く、生徒に直接聞きにくいという声を多く聞きます。3カ月に1回、簡単な3~4個のアンケートを取り、回収するだけでもいいと思います。また、クラブチームなどでは現場のトレーナーさんがスクリーニングをしてくださっているチームも多く、トレーナーの方に対する研修会を開いたり、学校だったら養護教員の先生がチェックするような体制を早く作りたいと思っています。一例を挙げると、とくに陸上競技の長距離選手の場合、10代から無月経で骨量もおばあちゃんみたいな選手が本当に多いんです。復帰してもすぐに疲労骨折してしまう。骨密度は20歳がピークであとは減る一方なので、10代で根本的に治療しないともうアウトなんです。
女性パラアスリート特有の問題というのはあるのでしょうか? |
パラアスリートは健常者と比べて競技生活が長く、引退年齢が遅いので、不妊治療や妊娠・出産を経験している選手、更年期障害を抱えながら続けている選手が多いのが特徴です。ただ、ピルには血栓のリスクがあるので、たとえば下肢の不動部位がある選手はピルが使いにくいことがあります。あとは、頚髄損傷や脊髄損傷の場合は月経痛自体を感じなかったり、大きな筋腫があっても尿が出なくなって初めて気づくこともあります。
選手本人も指導者も、より注意しないといけないのですね。 |
はい。昨年、リオパラリンピックに出場した選手に調査をしたところ、無月経で悩む選手は少なかったんですが、健常者のアスリートと同様に、月経痛が競技に影響を与えていたり、月経周期とコンディションの関係に悩む、という回答が多くありました。ただ、そこもこれまで全くデータがなかった分野なので、これから年齢別、競技レベル別、障がい別、障がいの部位別に分けて、調査をしようと思っています。一言で障がいといってもさまざまで、先天性の上肢欠損とかだと健常者と方針はほぼ一緒ですし、また車いすでは脊髄と頸椎では違う。これからさらに調査を行っていきますが、障がい者の選手向けにより詳細に調査をしたいと思っています。
東大病院女性アスリート外来では専門の医師たちが対応し、 妊娠・出産後の競技復帰も支援する(写真提供:東京大学医学部附属病院パブリック・リレーションセンター)
そんな中、能瀬先生が中心となって、今年4月に東大医学部附属病院に「女性アスリート外来」が設立されました。 |
紹介されて受診し、初めて自分の体に起きている問題を知って驚く選手もいます。また、無月経の場合は、エネルギー不足を改善する必要があるので、食事のバランスを整えるためにスポーツ栄養士の方に来てもらい、調査研究という形でホルモン値や骨密度や栄養調査・指導を無料でできるようにしています。また、体重を気にするあまり摂食障害になる選手もいるので、精神科、栄養や整形、産婦人科が連携をとり、チームでサポートすることが重要です。
今後はどのように研究や啓発活動を継続される予定ですか? |
日本体育協会の「公認スポーツドクター」に産婦人科医は少ないので、一般社団法人女性アスリート健康支援委員会の活動として、ドーピングや無月経の問題などについて産婦人科医向けの講習会を開いています。東大病院では、女性パラアスリート専門の相談窓口も設置しました(相談窓口:fsports-project@umin.ac.jp)。あとは、JPC(日本パラリンピック委員会)にも協力してもらい、いろいろな大会で月経のことなどを調査していくことと、これは健常者も含めてですが、妊娠・出産後に始めたトレーニングの内容や時期、どういう問題があったか、について大規模に調査を実施するつもりです。その調査結果は、選手、トレーナー、産婦人科医向けにそれぞれ冊子にして配布することを考えています。また、部活動に取り組む選手向けのコンディション管理アプリ『ルナルナスポーツ』の監修をしました。月経日を入力すると、試合や合宿日が次の月経と当たりそうか予測できたり、自分自身のコンディションを管理するツールとして使用し、そこから婦人科の受診に誘導したいと考えています。
選手の妊娠・出産後の現役復帰につながればいいですね。 |
はい、メディカル面からのサポートが大事ですね。外来でも、「現役中に出産して復帰したい」という選手の相談が増えてきています。でもいざ妊娠しようとしたときに、無月経だったら、そもそも妊娠できません。健康に不安を抱える女性選手たちをなるべく早く医療につなげ、治療を受けるような仕組みづくりを整えていきたいと思っています。
(MA SPORTS)
プロフィール
能瀬さやか先生
1979年、秋田県生まれ。北里大学卒。東京大学附属病院女性診療科・産科。JISS婦人科非常勤。2006年東京大学産婦人科学教室入局後、現職。学生からオリンピック・パラリンピック選手まで、女性選手のコンディション管理に関わる。また、女性アスリートの健康問題を広く調査し、彼女たちが抱える問題解決のため、対策を推し進めている。日本産科婦人科学会専門医、日本体育協会公認スポーツドクター 、日本障がい者スポーツ協会公認障がい者スポーツ医、日本アンチドーピング機構公認ドーピングコントロールオフィサー。