パラスポーツ最高峰を目指す姿を追いかける最前線レポート--Next Stage--企画・取材:MA SPORTS

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2020年11月9日

中辻克仁選手(パラ・パワーリフティング)

「コーチとの出会い、ポジティブ思考が成長を後押してくれた」

男子107㎏級で202㎏の日本記録を持つ中辻克仁選手。30代で競技を始め、49歳で日本人初の「200キロリフター」となり、50歳を迎えた今なお、記録に挑戦し続けるストイックな姿で、日本のパラ・パワーリフティング界をけん引する。これまでの競技人生を振り返るとともに、目標に掲げる東京2020パラリンピックへの意気込みを聞いた。

中辻選手とパラ・パワーリフティングとの出会いを教えてください。

19歳の時に自動車事故で右脚の膝上すぐのところで切断しました。当時から義足をつけて自宅でベンチプレスをして身体を鍛えていたんですが、何か目的があったわけではなかったんです。そんな時、たまたまシドニーパラリンピックのパラ・パワーリフティングのニュース映像で、男子100㎏超級のアメリカ人選手の肉体を観て、衝撃を受けたんですね。それから半年後くらいに、あるボディビル雑誌にそのメダリストの特集が組まれていて、しかも健常者が参加する全米の大会で235㎏を挙げたと書いてあった。それで「自分もこうなりたい!」と思ったのが最初のきっかけです。



再開した強化合宿で汗を流す中辻選手

それからすぐに選手として活動を始めたんですか?

そうです。当時の国内の障害者の競技団体を探して登録して、2002年に初めて世界選手権に出場しました。当時は男子90㎏級で、自分がどこまで通用するのか確かめたかったんですが、アップ会場で他国の選手が200㎏をバンバン挙げていて、思わずひるんだことを覚えています(笑)。結局、私は140㎏で最下位だったんですが、成績よりもワクワク感のほうが勝った。帰国してからも、ずっと周りに「すごい世界やった!」と興奮して話していたほどです。自分ももっと練習しよう、と心に決めた出来事でしたね。



その後、主戦場を男子107㎏級に移し、2019年2月の全日本で日本人初の「200キロリフター」になりました。その2カ月後の大会でさらに記録を更新し、同年の世界選手権では202㎏に成功するなど、コンスタントに記録を伸ばしています。その要因をご自身ではどう分析されていますか?

「200キロの壁」を超えるのに、19年もかかりました。49歳になっても記録を伸ばせたのは、ジョン・エイモスコーチの存在が大きいです。自身もパラリンピアンで世界チャンピオンを何人も育てている世界的指導者で、2017年から定期的に日本人選手を指導し、現在は日本パラ・パワーリフティング連盟のヘッドコーチを務めています。彼は練習には休息が必要で、それが筋肉を育てると考えていて、その理論をもとに選手の障害の特性や個性を見極めて一人ひとりに個別の練習メニューを組みます。実は、私とジョンは考え方が非常に似ていて、私は何も発言してないのに、迷いや試技で気になる点を彼がずばり指摘することがあります。その積み重ねで、ジョンのメニューをこなせば大丈夫という安心感が生まれていきました。逆にジョンが考えていることもわかるので、大会でジョンがセコンドにつくときは、試技の重量は私が決めるのではなく、彼に委ねています。そのあたりの信頼関係が結果につながったのかなと思います。



今季はコロナ禍によりエイモス氏が来日できず不在で、合宿も中止になるなど練習環境が大きく変化しました。そんななか、調子はどのように維持されたのでしょうか? また、10月のチャレンジカップ京都では自己ベストの203㎏に挑戦しました。今季初の実戦の感覚はいかがでしたか?

もともと自宅にベンチ台があるので、自粛期間中もトレーニングを続けることができました。合宿がなくなり、仲間から刺激を受ける場面は減りましたが、一人だと集中できるし、自分とより深く向き合えましたね。チャレンジカップ京都では、バーの握り方や肩甲骨の入れ方をこれまでと少し変えて臨みました。これは、国際大会の再開まで時間があく今しかできないことで、現在の限界値も確かめたかったからです。失敗した試技を映像で確認すると、左手が外にねじれる癖が出ていましたね。ただ、203㎏だとこうなる、という貴重なデータを得られたので、次に活かしたいです。



来夏に延期になった東京2020パラリンピックへの想いを聞かせてください。

実は今年2月のワールドカップ遠征中にホテルで転倒し、切断している右脚の断端部を粉砕骨折してしまい、緊急帰国を余儀なくされました。ただ、上半身は元気なので、脚に負担がかからないよう工夫して練習は継続できましたし、次戦もそのままエントリー予定でした。結果的にその後の大会はコロナで中止になりましたが、自分のなかで目標が途切れたわけでなく、むしろ1年延期になったことで練習時間が伸び、再調整する期間ができたので、圧倒的にプラスに働くととらえています。気持ちの切り替えもすぐにできました。パラの出場権を得るには、まずパラランキング8位以内が条件になります。重量でいくと、私の階級では210㎏あたりです。まずは確実に筋量を増やして、来年6月まで続く指定大会で結果を出したいですね。たった3秒間の試技で、1キロでも重く挙げた者が勝つパラ・パワーリフティングは、自分との闘いです。物事は解釈次第でポジティブにもネガティブにもなりますが、探せば絶対にポジティブな面があるので、そこを見つめるようにしています。あとはケガをしないように、脇を締めて、しっかり取り組みたいと思います。

(MA SPORTS)

プロフィール

中辻克仁(なかつじ かつひと)
1969年、大阪府生まれ。日鉄環境プラントソリューションズ所属。身長173㎝。学生時代はBMXの選手として活躍。19歳の時に自動車事故で右脚を膝上から切断、義足生活に。その後、2000年のシドニーパラリンピックをテレビで観てパラ・パワーリフティングを知り、競技をスタートした。2019年ヌルスルタン世界選手権は男子107㎏級で202㎏をマークして9位に入ったとともに、自身が持つ日本記録を塗り替えた。東京2020パラリンピック出場資格基準はすでに突破。現在は、仕事とアスリート生活を両立し、パラリンピック初出場を目指している。