鈴木孝幸選手(水泳)
「自分の経験や研究成果を活かして、パラスポーツ界の発展に貢献したい」
水泳日本代表として東京2020パラリンピックに出場する鈴木孝幸選手。アテネ大会からリオ大会までの4大会で、金1個、銀1個、銅3個のメダルを獲得しているレジェンドだ。東京大会を集大成の場と位置付けつつ、パラアスリートを取り巻く環境向上に貢献するための活動にも力を入れる鈴木選手に、現在の心境を語ってもらった。
※画像はオンライン取材時のスクリーンショット
5月のジャパンパラ競技大会で好成績をおさめ、東京2020パラリンピックの代表に内定しました。その後、ワールドシリーズのひとつで6月にドイツで開かれた「IDMベルリン2021」にも出場されましたが、結果はいかがでしたか? |
その大会は、マルチディスアビリティシステムを用いて、異なる障害クラスの人が一緒に泳ぐポイント制レースで、50m、100m、200mの3種目の自由形(S4)で2位。50mと100mは自己ベストで泳ぐことができました。パラリンピック本番に向けて最後の実戦の機会だったので良かったです。
パラリンピックには4度出場されていますが、メダルを逃したリオ大会後は引退を考えていたそうですね。そこから再び東京大会を目指すことになった理由は何ですか? |
僕は2013年から水泳のためにイギリスに留学しているのですが、リオ大会が終わった時点でイギリスの滞在期間が2年ほど残っていたため、少なくともその2年間は水泳をしなければならない状況でした。リオのレースを映像分析したところ、体幹トレーニングに改善の余地があることがわかり、どうせやるならそこを強化していこうと思ったんです。それで結果が出なければアスリートのキャリアは終わらせようと考えていましたが、18年のアジアパラ競技大会では日本選手では最多となる5個の金メダルを獲得できましたし、世界ランキングもメダル圏内に入るくらいまで上がったので、東京を目指そうと切り替えました。18年にクラス分けの規定が改訂され、自由形がS5から障害がひとつ重いS4に変更になったのも大きいですね。
集大成と位置づける東京2020パラリンピックでは、エントリー種目すべてでメダル獲得を目指す
東京大会は集大成と位置づけられています。どんな泳ぎを見せたいですか? |
個人種目では自由形3種目と、50m平泳ぎ(SB3)、150m個人メドレー(SM4)にエントリー予定です。5種目とも世界ランキング3位以内にいますので、5種目すべてでメダル獲得を目指したいですね。
現在はイギリス・ノーザンブリア大学の大学院博士課程でスポーツ・マネジメントを学ばれています。研究テーマを教えてください。 |
研究テーマは、日本のパラ水泳選手の競技環境と財政面のサポートについてです。オリンピックとパラリンピック選手でスポンサーのつき方の違いと、それによって選手たちの生活状況や競技環境にどんな影響があるのかについて関心があります。パラスポーツがより発展していくうえで、切り離せない課題だと考えています。
将来的には研究成果をどう活かしていきたいですか? |
研究し始めたばかりなので具体的なものがあるわけではないのですが、将来的にはスポーツ・マネジメントの知識を活かして国際的な組織でパラスポーツやパラリンピックに関する活動をしたいと思っています。その一端として、次期の国際パラリンピック委員会(IPC)のアスリート評議会選挙に立候補しました。アスリートのうちから国際的な組織に属することは自分の経験を積むうえでもプラスになると捉えています。
IPCアスリート評議員に選任されたら、どのような役割を果たしたいですか? |
アスリートのキャリアサポートと競技環境の改善という点で何か役に立てないかなと思っています。とくにアジアはまだウェアや義肢、競技用車いすを入手するのも困難という国があって、ヨーロッパと比べると国によってパラスポーツの発展に差がある印象です。国によって選手のニーズが変わってくるので、その声を私から伝えられる活動ができたらと考えています。
また、大学院の修士課程でパラ水泳のクラス分け制度について研究しました。選手にとってクラス変更は、まるで世界が変わってしまう出来事です。クラス分けは繊細かつ発展途上で、「本当にこの選手はこのクラスなのか?」と他の選手が疑問を持つような場面も少なからずあるのが現状です。そういった状況を改善するためのいくつかの策は研究成果として出ました。もちろん、科学的なエビデンスが大前提として必要なんですが、選手がフェアだと思えるパラスポーツ界の発展に自分なりに貢献したいなと思っています。
(MA SPORTS)
プロフィール
鈴木孝幸(すずき たかゆき)
1987年、静岡県生まれ。2009年に早稲田大学教育学部を卒業後、ゴールドウインに入社し、現在はCSR推進室所属。先天性の四肢欠損で、6歳から水泳を始めた。04年アテネパラリンピックに17歳で出場し、4×50mメドレーリレーで銀メダル。08年北京大会では50m平泳ぎ(SB3)で金メダル、150m個人メドレー(SM4)で銅メダルを獲得した。12年ロンドン大会では同2種目で銅メダルを獲得、16年リオ大会は同種目で4位入賞。13年から会社の語学留学制度を活用してイギリスのノーザンブリア大に留学し、スポーツ・マネジメントを学ぶ。20年12月に同大大学院修士課程を修了し、現在は博士課程。今年に入り、IPCアスリート評議会選挙に立候補している。