2021年9月5日 メダリスト記者会見(車いすテニス)

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東京2020パラリンピック競技大会にて、男子シングルスで金メダルを獲得した国枝慎吾選手、女子シングルスで銀メダルと女子ダブルスで銅メダルを獲得した上地結衣選手、同じく女子ダブルスで銅メダルを獲得した大谷桃子選手が9月5日、記者会見に出席し、メダル獲得から一夜明けた心境を語りました。

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Q: 地元開催のパラリンピックで、選手のみなさんは様々な想いをお持ちだったと思うのですが、改めてメダルを獲得されて、東京パラリンピックという舞台は皆さんにとってどんな場所でしたか?

 

■国枝選手:無観客という条件の中での開催となりましたが、テレビの放送も多かったですし、多くの方々に見ていただいているということがものすごく大きな力にもなりました。会場では、運営の方々、ボランティアの方々に気軽に声をかけていただき、それが自然とエネルギーとなりました。僕自身、今37歳になりますけど、普段のテニスのグランドスラムとかツアーだともう少し疲れるんですね。朝起きてだるいなとか疲れたなってあるんですけど、今回は自分自身が若がったように毎日疲れを感じないっていうかホームの力なのかなって思いながら過ごしてました。それぐらい日本・東京開催っていうのは、僕自身の背中を押してくれたかなって思っています。

 

■上地選手:過去2大会、時差がある中でのやり取りだったりだとか、本当に会場には見に来てもらうことは残念ながらできなかったですけれども、東京では、リアルタイムで皆さんの言葉だったり、声援と言うのが私たちには届いていました。それがすごく心強かったですし、先ほど国枝選手もおっしゃられたように、毎日遅くまで、雨が降っていたりもありますし、暑い中だったりそんな中でも、本当に笑顔を絶やさずに私たちをサポートしてくださってるボランティア・スタッフの方たちがいたからこそ、私たちも常に笑顔で、最終日まで過ごすことができたと思います。本当に目には見えない力というか、声援や気持ちが届いていてそれを私もお返ししたいっていう気持ちで最後まで戦い抜くことができたと思ってます。

 

■大谷選手:初めての出場で日本以外でのパラリンピック経験がないので、パラリンピック自体わからないことが多かったですが、その中でもやはり日本語で話せるという安心というものをすごく感じましたし、たくさんの方に声をかけていただき頑張ろうって連日思うことができました。パラリンピックというものは、過酷だよっていう話は事前に聞いていたんですが 経験がないのでなかなかどういうものかというのをイメージしづらかったんですが、始まってみたら本当に連日遅くまで試合があって、私が予想していたものより過酷な日程で、本当に疲れがたまっている中、皆様に応援していただいたり声をかけていただいたり、そういう力が自分の原動力となって頑張ることができたかなと思います。

 

 

Q: 競技を終えてから一夜しか経ってない中で恐縮な質問ではあるんですけども、メダルを獲得されて競技に対して新たに芽生えた想いだったり、今後に向けての目標について教えていただければと思います。

 

■国枝選手:今回のパラリンピック、僕自身の大きな目的としては、自分自身が金メダルをとることはもちろんですけど、やっぱり多くの方にこの競技のレベルの高さというもの、魅力というものを感じてもらえたらなっていうのが1番大きな原動力でもありました。僕だけじゃなくて、ライバル選手のプレーも見てもらいたいし、もちろん「国枝さんのファンになった」って言ってくれたら1番嬉しいですけど、それと同じように、やっぱりライバル選手のファンも増やしたいなあって思ってたので、そういう意味で、車いすテニスがパラリンピックの後も盛り上がっていくことに繋がると、少しでもそういった影響を与えられたらいいなと思っています。今後の目標としては、ここにいる三人は明日から全米オープンのため、ニューヨークに行きます。僕自身は、まずそれがひとまず終えてから、ちょっとゆっくりしたいな、それでもう一度考えたいなという風に思っています。

 

■上地選手:今回、シングルス・ダブルス・クアード、全てのクラスでメダルを獲得することができ、チーム一丸となってあの戦い抜くことができた、その一員になれたということはすごく誇りですし、みんなで最後まで一緒に戦い抜けたっていうところは本当に嬉しく思います。今回の大会が開催されるにあたって、日本選手はもちろん海外選手も、日本に来ることを楽しみにしていました。日本でプレーができるっていうことを心待ちにしていたというのは、色んな選手から聞いていたので、もう帰っている選手もいますけれども、選手たちが本当に日本に来て良かったって思っていてくれてるだろうと思いますし、ホスト国の選手として、大会に参加することが出来て、結果としては本当に悔しい思いがやっぱり1番に感じますし、リオ大会とはまた違った悔しさが残る大会になりましたけれども本当に最後まで戦い抜けてよかったなあっていう風に思います。私も今後については、一度全米オープンを終えてから、時間をとって、ゆっくりと考えたいです。まだまだ自分の成長する姿を皆さんに見ていただきたいですし、自分の可能性というものに自分も期待したいっ気持ちはあります。

 

■大谷選手:メダルを取った瞬間はもちろん嬉しかったのですが、 2人のシングルスの決勝を見て、勇気づけられるプレーだったり、あきらめない姿勢だったり、そういうものを見てすごい思うところがありまして、やはり メダルを獲得したものの、自分が目指すところはここじゃないんじゃないかとすごい考えました。なので、私はパリではもっといい色のメダルを獲得できるように頑張っていきたいと思いますし、今まで車いすテニス界を国枝選手・上地施主がひっぱってくれましたので、今度は2人じゃなく3人で引っ張っていけるような存在になりたいと考えています。

 

 

Q: 過去のパラリンピックに比べて、今大会は皆さんの活躍もあって、多くの方に魅力が伝わったかと思います。一方で、オリンピックと比べると歴史もまだ浅く、発展の余地があると思うんですが、パラリンピックという舞台をより良くしていくためにどう変えていったらいいのか、テニスのツアーを回っていらっしゃるご経験を踏まえてご意見いただけないでしょうか?

 

■国枝選手:オリンピックと差があるというのはわかっているんですけど、じゃあどうすればいいかって言うと、1人でも多くの方に興味や関心を持ってもらうことというのが連鎖して行くと、パラリンピックも盛り上がっていくことにつながるんじゃないかなと思います。そのためにはやっぱり我々がプレーで、1人でも多くの方に熱狂してもらうしかない、ほんとにその想いでプレーしてきました。なので、まだ足りないというのであれば、我々の努力不足、パフォーマンス不足ということも考えられますし、魅力がより大きくなるような努力をこれからも続けていかないといけないと思う次第です。

 

■上地選手:国枝選手のおっしゃったとおり、やっぱりもう一度観たいって思っていただけるような試合をすることが1番だと思います。この車いすテニスという競技に関して言うと、同じ会場で同じ期間に大会が開催されるグランドスラムもありますし、注目をしていただける回数が、一年に4回あるので、その中で私たちが常に結果を残すこと、それがやっぱり興味を持っていただける最初のきっかけになると思います。そこから実際に見ていただいて面白いなあっていうふうに思って頂ける、それから障がいを持った方にとっては、自分もやってみたいなとか、誰かに教えてあげたいなとか、こんな面白い競技があるんだということを教えてあげたい、というふうに「連鎖と」いう言葉が先ほどの国枝選手の話を聞いて私も本当にそうだなって思います。私たちがもちろん活躍することっていうのが大前提なんですけれども、そこからいろいろな方たちの声だったり、手をつたって連鎖が生まれていき、新たな発見というものにつながっていくと思うので、連鎖をずっと続けて繋げていきたいですし、そのきっかけづくりをこれからもずっと続けていきたいです。

 

 

Q: 大谷選手、昨日佐賀県から県民栄誉賞授与の内定の発表がありました。普段のツアーとは違う反響がありましたが、そこから感じるパラの開催意義を、初めて出場された思いを踏まえてお聞かせいただけますか?

 

■大谷選手:昨日、メダル確定した後に佐賀県知事の方からメッセージを頂いて、光栄に思います。私は車いすテニスをはじめたときは、もう佐賀県にいたのですが、最初は練習環境というものはなかなか整えるのが難しくて、今でも佐賀の市営のコートを使わせていただいて練習しています。地元の方の支えがなければ、練習もままならないような状況だったので、少し恩返しができたのかなと思います。車いすテニスを始めた時は、リオ大会が終わった後だったので リオの放送を直接見るっていうことはなかったのですが、動画などで国枝さんや上地さんのプレーされている姿を見て、あこがれるようになり、実際試合を見に行って、本当に自分が車いすテニスを始めようという決心がつきました。もちろん動画で見るのもそうですが、実際に見てみるとこんなに凄いんだとか、自分もやってみたいってすごい強く思うようになったので、自分も今後そういうプレイができるようにしていく必要がありますし、私のプレーを見てやってみようという方が少しでも増えたら嬉しいなあと思います。

 

 

Q: 上地選手にお聞きします。ロンドンの時に国枝選手の金メダルを間近で見て、高3で違う道に進むことも考えたけれども、車いすテニスの道に進もうと決められて、そこから今回国枝選手の金メダルを目の前で見て思ったこと感じたことを教えてください。

 

■上地選手:率直に悔しかったです。ロンドンのときは国枝選手はすごく遠い存在で、一緒に日本代表としてメンバーとしてさせていただけるだけでも嬉しく、そこからリオ大会では同じ銅メダルを獲得することが出来て、少し国枝選手に近づくことができたかなって思いました。今回その国枝選手の決勝戦までの試合も、前後で入れ替わりで見させていただいて、圧倒的な強さ、ブレない精神力、本当にたくさんのものを間近で見させていただき、また離されてしまったと、まだまだ追いつける距離ではなかったんだなあって思いました。少しでもやっぱり国枝選手の近くに近づきたく、背中を追いかけさせてもらっていて、今大会、本当に一緒に並ばせてもらえるチャンスまでは使うんだけれども、それを実際に手にすることができなかった悔しさはやっぱりあります。またその瞬間を身近で見させて頂き、たくさんの方々に祝福されている姿を見させていただいて、もっと自分もがんばりたいって、改めて間近で感じさせていただきました。おそらくもし私がほかの国の選手で、銀メダルをとるのが初めての選手だったら、もしかしたら今の現状に満足してたかもしれないです。けれども、やっぱり国枝選手の存在が常に前にあって、背中を見せ続けてくださるっていう環境にさせてもらえる事が凄く感謝でしかないですし、いつかはその背中を越えたいです。

 

 

Q: 上地選手、ご家族に見てもらいたいっていうっていうのもあると思うんですが、ご家族への想いをお聞かせください。

 

■上地選手:自分は兵庫県明石市出身で、東京からですと遠い道のりなので、毎日家族と大会期間中にやりとりをすることはなかったんですけれども、開会式の夜に最終聖火ランナーとしての大役を務めさせていただいたことを黙っていてごめんね、っていうやり取りと、あとはシングルスの決勝戦が終わった後に母にリオでの悔しさをはらせなくてごめんねっていう風なやり取りをしました。自分が明日ニューヨークに出発してしまうので、家族や友人、これまでサポートしてくださった方々、どの方にも会えずに日本を離れてしてしまうっていうのはちょっと寂しい気持ちもありますが、皆さん、「いつでも待ってるよ」っていうふうに言ってくださっているので、改めてゆっくり時間をつくれたらいいなと思います。

 

 

Q: 今回の皆様の活躍でこれから車いすテニスを始めたいと思う子供たちがかなり増えたのではないかなと思うんですけど、一方で現場を見てみると、練習場所が少ないとか指導者が足りてないとか課題は多いのかなと思います。若い子供たちへのメッセージやエールを一言いただけるとありがたいです。

 

■大谷選手:車いすテニスを始めたのが栃木を離れた後だったので、栃木の現状っていうのはあまり把握できてないのですが、佐賀で始めるにあたっても、ほとんど車いすテニスをされている方がいらっしゃらなくて、その中で自分でコーチを見つけて練習できる場所を見つけてっていうのは本当に大変なことでした。ただ自分で 切り開いていくんだっていう強い気持ちと、国枝選手・上地選手みたいになりたいっていう憧れからここまで来ることができたと思います。もちろんそういうふうに憧れるような存在になりたいですし、まずは地元栃木と今住んでいる佐賀で、私ができる範囲内で環境を整えたり、指導者を増やすなど、できることを少しずつ増やせていけたらと考えています。

 

 

Q: 今後について、全米が終わってから考えたいとのことでした。パリにむけて心のうちは具体的にはどんな感じなのでしょうか?全く白紙なのか、東京大会が終わったばかりでそこまで考えられないのか、教えていただければと思います。

 

■国枝選手:日頃のツアーをメインとして、その延長線上にパリがあると。これは東京を目指す時も同じようなスタンスでやってきましたし、僕自身、「今から3年後のパリに向けてテニスを進化していきます」と言うよりは、やっぱり目の前の大会に向けてっていう方が年齢的には合ってるかなって思うし、残り3年となると、4年と違ってあっという間に3年経つんじゃないかなっていうふうに思うので、やれない距離ではないかなと感じています。

 

■上地選手:もちろんパリに向けて競技を続けていきたい気持ちはあるのですが、やはり目の前に全米があって、年をまたげば全豪オープンがあり、本当にツアー生活っていうものが私たち車いすテニス選手にはつきものなので、もちろん代表を目指して取り組む気持ちでいますけれども、今回の東京大会の時に、1試合ずつ勝ち上がって行くっていうことを意識していたように、1つずつの大会を戦っていって、手応えを感じながら進んでいきたいなあって思うので、先のことがわからないと言うよりかは、パリ大会に出るつもりでその準備をこれからしっかりとやっていきたい気持ちです。

 

 

Q: これから全米に行かれるというところでなかなか気の休まらない時間が続くと思うんですけど、東京大会を終えて、ご自身へのご褒美であったり、これが食べたいなとか、これがしたいなっていうのが浮かんでることがあったら教えていただきたいです。

 

■国枝選手:ラーメン食べたいですね。今日実現できるのかできないかな。ラーメン食べたいし、しばらく テレビゲームを封印してたのでちょっと遊びたいなって気持ちもあります。

 

■上地選手:日本開催で、食事も日本食を食べることができていたので、あまり恋しいものっていうのは正直なくてですね、本当に普段どおりの生活や行動がさせてもらえた大会でした。やり終えて充実した大会だったなあって思うので、ニューヨークに行って試合がやっぱりしたいなあと。次の試合に向けて、気持ちはかなり向いているので 早く練習がしたいなあっていう気持ちです。

 

■大谷選手:私は温泉が好きなので、栃木も佐賀も温泉が有名なので落ち着いたら、両方で入りに行きたいと思いますし、国枝選手、栃木は佐野ラーメンが美味しいのでぜひ食べに行っていただけたら嬉しいです。

 

 

Q: 国枝選手に伺います。重圧がとてもあったということでしたが、それは具体的にどんな重圧だったのでしょうか?自分が勝てなかったら、パラリンピックやパラスポーツの注目が低くなるというような気持ちもあったのでしょうか?

 

■国枝選手:もちろん負けられない負けたくないっていう気持ちは当然重圧にもなりますし、皆様の期待に応えたいと言う思いもまた重圧にもなります。ただ、その重圧が、強ければ強いほど、それを乗り越えた時の喜びというものは、何倍にもやっぱり膨れ上がるし、そうじゃないとやっぱり勝って涙することなんて言うのはあり得ないことなので、重圧があるからこそ、逆に言えば自分自身もプレーが研ぎ澄まされて、五感を最大限に研ぎ澄まし、感覚や神経が鋭敏になっていくので、そういう意味であのパフォーマンスができたのだと思います。

 

 

Q: 国枝選手にお聞きしたいのですが、先ほど上地選手が国枝選手を見てずっと追いかけてきたとのことですが、国枝選手から見て上地選手のロンドンからの歩みをどう見ていらっしゃったのかを教えてください。

 

■国枝選手:ロンドンで上地選手がパラリンピックデビューしてきて、リオの銅メダルはスタンドで見てました。あの時は逆に言えば、僕がシングルスで先に負けてしまったので、もちろん嬉しさと、僕自身、悔しさも当然ありました。今回、東京の決勝戦を、僕は試合の前日だったので、ちょっと早めに寝なきゃなとって思ってたんですけど、やっぱり決勝戦から目が離せなくなってしまって最後まで見届けることになりました。結果を言えば、銀メダルということだったんですけど、内容はやっぱりすごかったですね。間違いなく誇っていいことだし、女子はずっと無敗で引退していったエステル・フェルヘールという選手がいたんですが、僕の中では、彼女を超える選手はいないんじゃないかと思っていたところがあって、ただし今回の決勝戦は、その彼女のクオリティを超えていたと思います。それくらい今回の決勝戦の両者はものすごくレベルが高かったし、見ていて本当に面白い試合でした。僕自身、このパラリンピックや車いすテニスの魅力をどう伝えられるかというのが1番の目標というふうに言ってましたけど、上地選手はそれを体現したんじゃないかなと思います。

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